宮城県 宮城県仙台二華中学校
三学年 福村 眞菜(ふくむら まな)
昨年の秋、両親が生命保険の話をしていた。転居を機に、保険の見直しをするという。いくつもの資料を取り寄せ、何やら真剣に吟味する両親を、私はしらけて眺めていた。どれも同じような内容じゃないか、どうせ必要になる確率が低いのだから安いものにさっさと決めれば良いのに、そう思っていた。
実を言うと、私は保険に対してあまり良いイメージを持っていなかった。せっかく保険料を払っていても、今まで実際に使ったことはなく、損をしているのではないかと感じていたからだ。
だが、そんな私に母は言った。
「お父さんがガンの検査を受けたときのこと、忘れたの?」
もやもやとしていた胸の奥が、すっと冷えた。
私が小学五年生のとき、父が毎年受けている大腸ガン検診で要精密検査の結果を受けた。父が、ガンかもしれない。いつもと変わらず元気そうに見えるのに。父はどうなるのだろう、死んでしまうのだろうか、もしそうなったら私たち家族はどうなるのだろう……。私も母もとても心配で、精密検査の日は何をしていても父のことが思われた。このとき初めて、親が死ぬということをはっきり自覚したと思う。
幸い、父は陰性だった。その知らせを聞き、私は思わず隣にいた父の腕に飛びついた。久しぶりに触れる父の腕はがっしりと硬く、力強さを感じた。家族がいつも通り生きている日常の有難さを強く実感したはずだった。
だが、いつの間にか、そんな当たり前のことを忘れていた。また死が他人事になっていたのだ。
そうか、両親は保険料で安心を買っていたんだ。急に生命保険が違ったものに見えてきた。私たちの〝いつも通り〟を守ってくれる生命保険。それはいったいどんなものなのだろうとパンフレットを覗きこんでみる。そこには、保険の内容に加え、保険金が支払われる条件や、今加入しているものとの比較などが父の字で細かく書き込まれていた。両親は生活や医療の変化に合わせて、今の私たちに最適な保険を選ぼうとしていたのだ。そう気づくと、なんだか心が温かくなった。生命保険の制度が、それを真剣に考えている両親が、とても頼もしく感じられたからだ。
生命保険はいざというときのリスクから私たちを守ってくれる。だが、それは保険会社から提供されるシステムであり、何でも助けてくれる無償の愛のようなものではない。こちらが動かなければ適切な援助が受けられないのだ。非常ベルも消火器も点検が必要なように、私たちもそれが必要なとき、きちんと機能するか見直さなくてはならない。保険に入って満足していては、意味がないのだ。大切なのは、常にリスクを見据えて必要なものを考え、適切な援助を受けられる制度を知ろうとする姿勢だと思う。
保険の見直しをきっかけに、私はリスクに備えることの重要性を学んだ。何も考えず今の生活を当たり前だと思い、保険を損だと感じていた自分の安直さ、甘さを恥ずかしく思う。今後は私もリスクを予測し対処するために、社会保障制度や生命保険に関心を持とう。本当の〝安心〟を手に入れるために。