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Web magazine“Present” 広報誌「Present」Web版

2023年8月号掲載

余命を宣告されたシングルファザー。子どもたちの存在が生きる活力になっています

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お客様プロフィール

Aさま(55歳)長女(21歳 会社員)長男(20歳 専門学校生)

喉に違和感を覚えて受診 半年後に食道がんと診断された

今回ご登場いただくお客様は、愛知県在住のAさまです。Aさまは50歳のとき食事中に喉に違和感を覚えました。

「おにぎりが喉に詰まって飲み込めず、吐いてしまいました。すぐに近所の内科医院に行ったのですが、異常がないと言われました」

しかし、その後も症状は変わらず、Aさまは第2、第3の病院を受診しましたが、異常は見つかりませんでした。

「食べ物がどんどん飲み込みにくくなっているのに、3番目の病院では『気のせい』とまで言われ愕然としました。半年後に受けた胃カメラ検査でがんと診断されたときは、ショックを受けるより、やっと原因が判明したとホッとしました」

明治安田生命岡崎支社康生通営業部の柳井恵子さんにお話を伺いました。
「Aさまとは10年以上前からのお付き合いです。心身ともに健康な方でしたので、がんと聞いたときは耳を疑いました」

Aさまにお話を伺いました。
「治療について説明を受けたときに『もう少し早く発見できれば外科手術でがんは切除できた』と言われました。結局、放射線と抗がん剤治療を行いました」

小康状態を保っていましたが、がんが再発し、胃ろうが作られました。

「1日3回、自分で胃ろうから直接栄養補給をしています。柳井さんの尽力で、そしゃくが全くできなくなると高度障害に該当することがわかり、経済的にとても助かりました。柳井さんには家族ぐるみでお世話になっています。がんになってからずっと寄り添っていただいて心から感謝しています」

柳井さんにお話を伺いました。
「Aさまからは『保険料が免除になり、がんで働けなくなっても障害年金を受け取ることができて大変助かった』と言っていただいています。Aさまは前向きな性格で在宅治療中の今もとても明るく過ごされ、お子様たちにとってかけがえのない存在です」

Aさまは、「今の望みは1日でも長く子どもたちと普通の暮らしをすることです」と、1日1日を慈しんでいます。

Aさまご家族のこれまでの道のりと生命保険への思いをお伺いし、柳井さんのお話を交えて、ここに紹介させていただきます。

子どもたちを育てるために一生懸命働いていた

Aさまはお子様たちが幼い頃に離婚し、シングルファザーになりました。

「両親が近所に引っ越してきて、子育てを手伝ってくれました。当時の仕事は、建築関係の現場仕事なので、体型は筋肉質。風邪もめったにひかないくらい健康そのものでした。とにかく子どもたちを育てるために一生懸命働いていました」

ある日、近所の居酒屋でお兄様と食事をしていたとき、柳井さんを紹介されました。偶然にもご兄弟と柳井さんは同じ中学校出身でした。

「地元つながりで意気投合し、柳井さんに生命保険について相談しました。私はその頃、保険料の支払いが家計の負担に感じ、すべて解約していたんです」

すると柳井さんから「お子様たちのために無理のない範囲で加入されたほうがいいのでは?」とアドバイスされ、お付き合いが始まりました。

Aさまは加入しても生命保険のお世話になることはありませんでした。ところが加入から5年後、がんと診断されたのです。

「喉に食べ物が詰まって吐いたのが始まりで、それから症状がどんどんひどくなっていき、病院巡りが半年続きました」

どの病院を受診しても異常がないとくり返されるばかりでした。
「飲み込みが難しいと訴えると、『喉の炎症』と診断され薬を処方されますが、まったく効きません。微熱を訴えると、『風邪』だと言われました」

3番目に受診した大きな病院では、胸痛を訴えてCT検査が行われました。しかし異常は見つからず。医師から「気のせいでしょう」と言われたときには、絶望的な気持ちになったそうです。

「相談しやすかった2番目の小さな病院に戻り、そこで胃カメラ検査を受けて、やっと食道がんと診断されたのです」

喉の詰まりからすでに半年経過していました。その頃には固形物は一切受け付けず、食事は流動食のみでした。

「結局、CT検査をした大きな病院を紹介されました。そこでは、専門医から『もう少し早めに来れば外科手術で切除できたのに』と言われ、愕然としました」

両親を見送り、病状が落ち着き配達の仕事を始める

がん治療を始める際、腫瘍を切除して食道をつなげる手術も検討されました。しかし検査の結果、すでにがん細胞は静脈にまで及んでおり、切除手術は困難と判断されました。

「抗がん剤と放射線治療を行うことになりましたが、『一生口から食べることはできない』と医師から言われました」

入退院をくり返して厳しい治療が続きました。そしてやっと、がん細胞は落ち着き、在宅での治療になりました。
「生命保険のおかげで医療費が保障されて助かりました。しかし、離職していたので保険料の支払いが厳しくなったら解約するしかないと思っていました」

柳井さんにお話を伺いました。
「今後の医療費や再発への心配があるので、貸付制度を提案しました」

Aさまにお話を伺いました。
「本当に助かりました。柳井さんはひんぱんに自宅に訪ねてきてくれて、保険以外の相談にも応えてくれて今や親戚以上の関係です」

実はAさまの入院中、Aさまのお母様にがんが見つかりました。
「母と私は同じ病院だったので、柳井さんと一緒に母の病室に見舞いに行ったりしました。母はあっけなく天国に旅立ってしまいました」

その後、一人暮らしになったお父様は介護施設に入居しましたが、お母様の後を追うように旅立たれました。

「コロナ禍でしたので面会も思うようにできないままの別れでした。父のときも柳井さんには大変お世話になりました」

ご両親を相次いで見送り、その後、病状が落ち着いたAさまは、ご友人の尽力もあり配達の仕事を始めました。
「仕事ができるようになってとても嬉しかったです。心機一転、引っ越しもしました」

治療と仕事を両立させながら、お子様たちの食事を作る。心穏やかな落ち着いた生活がしばらく続きました。
「ある日、娘から『食道のバイパス手術が受けられるか専門の病院で聞いてみたら』と勧められました」

治療を続けながら1日でも長く子どもたちと暮らしたい

その頃Aさまは痛みもなく、普通に暮らしていたのであえて受診する気持ちはありませんでした。
「それでも当時高校生だった娘がいろいろな治療法を一生懸命調べてくれていたことが嬉しかったです」

Aさまはご長女の「父への思い」に応えるように、自宅から電車で行ける距離にある大きな病院に向かいました。

すると、PET-CT検査の結果、がんの再発がわかりました。

これはPET(陽電子放出断層撮影)とCT(コンピュータ断層撮影)の特徴を融合させた最先端の検査で、微弱な放射線を出す薬剤を体内に投与し、その分析を特殊なカメラでとらえて画像化するというもの。他の検査で発見できないがんの診断や、がんの転移・再発を調べるのに有効な検査とされています。

「すぐに入院して治療が始まりました。抗がん剤を24時間5日間点滴し、いったん帰宅して、3週間後に再び入院して治療する。これを3回くり返しました」

遠方の病院への入退院はとても大変でしたが、幸いにも自宅近辺に系列病院が開院。病院を往復する負担が少し軽くなりました。

「娘のおかげで再発が見つけられ、治療ができました。それがなかったら、今私はこの世にいなかったでしょう。本当にありがたいです」

しかし、厳しい抗がん剤治療のための入退院が続き、次第にひどい副作用に悩まされるようになりました。
「仕事もできなくなりました。そして、昨年(2022年)3月に子どもたちも病院に呼ばれて、余命3ヵ月と医師から言われました」

現在は手足のしびれや足首の痛みなどで歩行も困難です。医師からは入院を勧められていますが、Aさまは在宅治療を希望しました。

「月1回の通院で抗がん剤治療をするとその後2週間ほどはつらいですが、子どもたちの存在に活力をもらっています。長女は社会人になり、長男の学生生活もあとわずかです。1日でも長く子どもたちと普通の暮らしを楽しみたいです。まだまだ死ぬ気はないですよ」

最後に柳井さんにお話を伺いました。
「Aさまには月1回お会いしますが、『まだ生きているよ』と笑顔で迎えられ、私の方こそ元気をもらっています。これからもお客様のいざというときに寄り添え、すぐに対応するアフターフォローを大切にしていきたいと思います」

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