公益社団法人生命保険ファイナンシャルアドバイザー協会 Japan Association of Insurance and Financial Advisors

JAIFA公式LINE

公益社団法人生命保険ファイナンシャルアドバイザー協会 Japan Association of Insurance and Financial Advisors

Web magazine“Present” 広報誌「Present」Web版

2022年5月号掲載

退院後は苦労しましたが、家族と仲間のおかげで幸せな日々を送っています

この記事を
みんなにお知らせする

お客様プロフィール

Sさま(46歳 会社員)  
妻(44歳 自営業)  
長女(15歳 高校1年生)

心配する周りに笑顔の気遣い

今回ご登場いただくお客様は、秋田県在住のSさまです。Sさまは9年前、37歳のときに、職場の事故で右腕を失くされました。

「特に危険な職種ではなかったのですが、現場でペアを組んでいた方のちょっとしたミスが原因で起きてしまいました」 救急搬送された病院では、医師から右腕の肘より下側を切断するしかないことを説明されました。
「手術後、ベッドの上で麻酔からさめたときには、すでに腕は失くなっていました。本来、明るい性格の私ですが、さすがに落ち込みました」

事故にあったのは、ご長女の保育園卒園を目前に控えていた頃でした。ご家族にとって節目のイベント、心から楽しみにしていました。明治安田生命秋田支社秋田山王営業所の能登屋純子さんにお話を伺いました。

「Sさまは、私の夫の幼馴染で、ご長女も私の長男と同じ年齢です。卒園式が待ちどおしいときに、奥様から事故の連絡がありました。電話口では『どうしたらいいの』と泣き崩れ、私も涙が止まりませんでした」
Sさまの入院期間は3ヵ月。
「退院されてからは、心配する周りに気遣って『腕が失くなっちゃったよ』と笑顔で話し、私達のほうが励まされました」

Sさまにお話を伺いました。
「自分が落ち込んだり、内にこもってしまったりしたら、家族や友人、仕事仲間を困らせてしまうと思い、何があっても笑顔でいようと決めました」

事故は労災認定され、退院後1ヵ月で職場復帰しました。
「入院中は、生命保険の給付金のおかげで治療とリハビリに専念できました」

今年の春、ご長女は希望の高校に合格。取材をご快諾いただいた理由は、事故にあった同じ季節に、ご長女の成長を見届けられたことでした。

「9年前の春、事故で突然障がい者になりましたが、妻と娘のおかげで幸せな今があると実感しています。改めて万が一のときに大切なのは、温かい周りの人々の存在と生命保険だと思い、微力ながら皆さまにお伝えしたいと考えました」

Sさまご家族のこれまでの道のりと生命保険への思いをお伺いし、能登屋さんのお話を交えて、ここに紹介させていただきます。

子育ても季節のイベントも親友と家族ぐるみで楽しんできた

Sさまと奥様の出会いは、共通の知り合いの紹介でした。おしゃべりが弾む気の合う友人関係を経て、Sさま31歳、奥様29歳のときにご結婚。すぐにお子様に恵まれました。

「結婚前は、飲食関係の起業に向けて頑張り、経営をしていましたが、子どもが生まれるタイミングで、現在の会社に転職しました」

結婚後の住まいは、Sさまが生まれ育った地域。近所には、ご実家やご兄弟、友人知人が多く、特にSさまの幼馴染である能登屋さん家族のご自宅は、スープのさめない距離でした。

Sさまは「能登屋さんのご主人は、私より1歳年上ですが大親友。小学校から一緒で、ずっと面倒を見てくれ、大人になってからも変わりません。兄同士も幼馴染で、皆仲良くしています」と語られています。

Sさまが結婚してから、奥様同士も意気投合。子どもの年齢が近いことや働く母親同士ということもあって、お互いにかけがえのない関係になったそうです。

「夕飯は毎日、うちと能登屋家どちらかの家で食べて、子どもたちは小学生までは一緒にお風呂に入っていたくらい。親戚以上の付き合いです。正月、花見、夏休みの海水浴やバーベキュー、クリスマスや冬休みのスノーボードなど、季節ごとのイベントはすべて一緒。子どもたちの誕生日会も欠かさず皆で祝ってきました」

能登屋さんにお話を伺いました。

「子どもが小さい頃の家族ぐるみの子育ては、働く母親にとって、心身ともに本当に助かりました。奥様とは嫁同士の話や仕事の悩みなど、たまに2人でお酒を飲みながらストレスを発散してきました。もちろん今も変わりませんし、年数と共に絆が強くなっています」

妻たちのつながりをSさまと能登屋さんのご主人は、温かいまなざしで見守り続けてきました。

信頼できる友人だからこそ生命保険の相談をしたかった

Sさまが、生命保険加入を考えたのは、ご長女が5歳になったときでした。

「生命保険は、独身時代に母親に勧められるまま加入していた時期もありました。でもその頃は、あまり重要性も感じられない上、担当者とは会ったこともなかったこともあり、やめてしまいました。結婚して子どもの成長とともに、家族のために生命保険の必要性を感じました」

そこで、Sさまは家族ぐるみで子育てをしている能登屋さんに、当たり前のように相談したのです。当時の印象を能登屋さんに伺いました。

「Sさまは、親戚以上で言葉では言い表せないほど深い関係。改めて生命保険の相談を受け、びっくりしました」

仲が良ければよいほど、仕事の営業は控えてしまいがちです。Sさまにお話を伺いました。

「信頼している能登屋さんだからこそ、相談したかったんです。お互いに家族のことや仕事のことなどを知り尽くしているので、安心でした。私の仕事や生活にあった生命保険を提案してくれ、保障内容についてもわかりやすく説明してもらいました。加入後は、想像した以上の安心感がありました」

それから2年後、Sさまは事故に見舞われたのです。

「事故の瞬間は、激痛は感じず、腕を失くすことだけがわかりました。そして、ただただ『終わったな』という絶望感しかなかったです」

事故の連絡を受けた奥様は、すぐに能登屋さんに電話をしたと、Sさまは後に聞かされたそうです。

「妻はかなり動揺し、一番に話を聞いてもらいたい能登屋さんに泣いて電話をしたそうです。能登屋さんは事故後の生命保険の手続きだけでなく、妻にずっと寄り添い続けてくれました。もちろん私が生命保険に加入していなくても、能登屋さん夫婦は、わが家をフォローしてくれていたでしょう」

生命保険では、給付金が支給され保険料の払込免除になりました。

「事故後は、同じような保障内容の生命保険加入は難しかったかもしれません。入院を経験して、医療費だけでなく生活費や子育て費など多くのお金が必要になることを実感しました。一生涯保障が受けられる内容なので、将来的に安心です。自営をしている妻も経営者として必要な生命保険に加入し、能登屋さんにお世話になっています」

普通に接してくれた周りの人たちの存在が心の励みに

Sさまが失った右腕は、利き腕でした。事故後の入院生活では、治療とともに、義手を装着して生活や仕事ができるようになるための過酷なリハビリが行われました。

「入院中は腕のしびれや痛みで3回手術をしました。痛みやしびれについては、現在も薬が欠かせません。リハビリは腕の筋肉強化やストレッチ、腫れが引いた段階で義手を装着して、左手で箸を使ったり文字を書いたり。生活や仕事ができるようになるための訓練をしました」

退院して1ヵ月間は、自宅療養しました。

「家では義手を外すので、娘は最初戸惑っていましたが、すぐに慣れました。小さいながらも、お風呂で背中を流してくれるなどサポートをしてくれました」

仕事復帰は現場から事務職に異動。会社では障がい者として雇用が継続されました。しばらくは新しい仕事内容に四苦八苦したそうです。

「パソコン作業も時間がかかりました。片手ではできないこともあり、今でも仕事仲間に助けてもらうこともあります。しかし、できるだけ人に甘えず、自分の限界まで頑張っています。会社の一員として役に立てる人材でいられるように、やれることはすべてやっていきたいと思います」

Sさまの趣味は「娘との時間」。一緒に、アイドルの動画や高校生の恋愛リアリティショーを見ながらおしゃべりする時間が、至福のひと時。若返りの秘訣にもなっているようです。

「家族だけでなく、事故後も周りの人たちは普通に接してくれ、花見や海水浴などの毎年の行事はすぐに復活しました。それが心の励みになり、この場所に住んでいて良かったと心から思いました。子ども達の成長とともに、イベントは減りましたが、何かにつけて会う機会を作っています。最近はコロナ禍で、地域行事など大勢の集まりはできませんでした。収束したら、会えなかった人たちと再会したいです」

最後に能登屋さんにお話を伺いました。

「私たちの仕事は、親しく深い関係であればあるほど、提案しづらい気持ちがありました。Sさまの生命保険加入は、私の入社3年目でした。この経験を通して、万が一のときに困ってほしくない人に対して、物怖じせずに提案していくことも大切なことだと切実に思いました。これからも細やかな心遣いで仕事をしていきたいと考えています」

この記事を
みんなにお知らせする

この記事が載っている号

広報誌「Present」2022年5月号

記事一覧・電子版PDFのダウンロード

JAIFAに入会したい方へ

JAIFAの会員制度についてや入会方法についてご案内しております。
メールフォームでの入会も可能です。