お客様プロフィール
夫(享年45歳) Kさま(47歳 アルバイト)
亡くなる2ヵ月前まで出勤して、仕事をしていた夫
今回ご登場いただくお客様は、北海道在住のKさまです。Kさまのご主人は昨年(2021年)10月、働き盛りの45歳で逝去されました。あまりにも早いお別れでした。
「夫は30代後半に発症した直腸がんの再発で入退院をくり返していました。それでも亡くなる2ヵ月前まで出勤していたほど、仕事に誠実でした」
ご主人の勤務していた会社は、北海道全土に営業所が網羅されています。ご主人の葬儀の日には、各地から多くの参列者が駆け付けました。
「新型コロナ感染症が収まっていた時期でした。葬儀社の方も驚くような人数で、男性のみなさんも人目もはばからず泣いてくださり、私は改めて夫の偉大さを知りました」
Kさまご夫婦は結婚して5年目でした。結婚生活のほとんどはご主人のがんとの闘いの日々だったのです。
「お付き合いする前から病気のことは知っていました。私はそれでも『この人と結婚したい』と願いましたし、夫もすぐにプロポーズしてくれました」
日本生命道東支社帯広しらかば営業部の高橋知美さんにお話を伺いました。
「配偶者様はやさしくて穏やかなお人柄。独身時代の転勤がきっかけで、私が担当を引き継ぎました。ご結婚後は、Kさまとお会いするようになりました」
Kさまにお話を伺いました。
「生命保険のおかげで、私は退職して夫との生活と看病に専念できました。夫も『手厚い保障の保険で良かった』としみじみ言っていました」
現在Kさまは、ご主人との思い出がつまった家で一人暮らしをしています。
「夫の遺骨は、義父が一人住まいをしている実家の仏壇で、義母の遺骨と並んでいます。私は月命日に訪問してお参りしています」
まだまだ納骨できる気持ちになれないお義父様とKさま。お互いに心を寄せ合いながら故人を偲ぶ日々です。
「夫は明るくて元気な私を愛してくれていました。いつまでも悲しんでばかりでは天国で心配すると思い、最近、短時間のアルバイトを始めました」
Kさまご夫婦のこれまでの道のりと生命保険への思いをお伺いし、高橋さんのお話を交えて、ここに紹介させていただきます。
出会った瞬間から「結婚するならこんな人!」と思った
Kさまご夫婦は、職場結婚でした。
「私は派遣社員で夫は上司。出会った瞬間から『結婚するならこんな人!』と思いました」
仕事や職場の飲み会などを通じて、ご主人の人柄を知れば知るほど、思いは強くなっていきました。
「派遣社員から正社員になったとき、夫がお祝いにと二人だけの食事に誘ってくれました。それからお付き合いが始まり、デートを重ねました」
穏やかでやさしいご主人と前職はバスガイドとして活躍していた明るいKさまは、周りも羨むベストカップル。
「付き合う前から夫が直腸がんで手術をしたことを知っていましたが、結婚への気持ちはゆらぎませんでした」
婚約の報告は両家のご家族や同僚たちから、大いに祝福されました。
「私の妹の旦那さんが偶然、夫の後輩で『尊敬する先輩なので、結婚してまちがいない!』と太鼓判を押し、両親も夫の懐の深い人柄を褒め『もらってもらいなさい』と言ってくれました」
結婚を前提に一緒に住み始めてすぐにご主人のがんが再発しました。
「夫は定期的にがんの検査を受けていました。再発が発見されて切除手術のために2週間ほど入院しました」
この時、ご主人から加入している生命保険について「高橋さんが担当になったときに見直して、手厚い保障内容になっているから安心だよ」と伝えられました。
「夫は泣き言など一切言わずに病に立ち向かい、私との生活を大切に考えてくれました。これからも再発をくり返すかもしれないけれど、二人で乗り越えていこうと強く思いました」
そして、ご主人40歳、Kさま42歳のとき晴れてゴールイン。しかし、病魔は容赦なく、2回目の再発にみまわれました。
結婚3年目にまたもやがん再発 退院して3日後に義母が急逝
「2回目の再発後、ずっとお世話になっていた地元の病院と札幌市にある大きな病院が連携して治療をすることになりました。その頃、私は退職して夫の生活と看病に専念することにしました」
札幌へは3泊4日の抗がん剤治療のため、数週間おきに車で一緒に通いました。Kさまの心強いサポートの元、ご主人は仕事と治療を両立。ご自宅では夫婦で一緒にキッチンに立って料理をしたり、くつろいで映画を観たり。穏やかで笑い声が絶えない暮らしが続きました。
そして3年後、またしてもがんが再発。今思えば最後のがん摘出手術が札幌市の病院で行われ、リハビリも含めて入院は2ヵ月に及びました。
実はこの時、地元ではお義母様が重篤な病のため入院していたのです。
「義母の病状を心配しながら帰宅しましたが、3日後に亡くなりました。一人息子である夫を慈しみ、がん闘病も支えてくれた義母。私に対してもぬくもりのある心配りをしてくれる義母でした。きっと術後の息子の帰りを待って旅立ってくれたのでしょう。夫は気丈に見送ることができました」
さまざまな心境にありながらも、ご主人は治療をしながら仕事を続けました。
そして2年後の4月、念願の新婚旅行にでかけたのです。夫婦交代で運転しながら10日間かけて函館、小樽、支笏湖などをご主人の愛車で巡りました。
「夫はもともと食べることが大好き。旅行中は不思議なほど体調が安定していて、好きなものを思う存分食べられ、ご機嫌でした」
旅行から戻ってきてもしばらくは平穏な日々が続きました。しかし、日を追って体調が悪化してきたのです。
「朝、会社に行くのを私がいくら止めても、『いや、行く』と気力を振り絞って出勤していました。でも、会社で倒れることが多くなって、『このままでは会社に迷惑がかかる』と退職を申し出ました。ところが上司からは、『みんなで戻ってくるのを待っているから、ゆっくり治してきてほしい』と言ってくれました」
こうしてご主人が最後の最後まで社員として全うできたのは、人望の厚さと仕事への誠実さを周りの誰もが認めていたからなのでしょう。
一緒にお風呂に入ると「幸せだなぁ」とつぶやいた夫
ご主人のがんはさまざまな臓器に転移し、治療方法は、すでにありませんでした。しかし、黄疸や導尿の治療で入院。まさに満身創痍でした。退院後は、かかりつけの病院に転院する予定でしたが、すでに抗がん剤治療もできず薬を服用するだけでしたので、自宅に戻りました。
「亡くなる前月の1ヵ月間は、夫婦だけで自宅で過ごしました。夫の食べたいものを食べやすく作って、一緒にお風呂に入って体を洗ってあげると、夫は何度も『幸せだなぁ』と言っていました」
Kさまは普段の暮らし通りにしようと、医療用のベッドではなく、慣れ親しんだベッドで看護しました。気分転換にリビングのソファに移動して、ベランダからの風を感じたり、他愛のないおしゃべりをしたりして和やかに過ごしました。
「夫が『このドラマは絶対見てほしい』とすすめる懐かしいビデオをレンタルしてきて観たり、大好きなバンドのCDを聴いたり。朝コーヒーを入れると『いい匂いだなぁ』と微笑み、一緒に大好きなアイスクリームを食べると喜びました」
自宅で過ごす普通の生活がKさまご夫婦にとって、なんとも言えないキラキラ光る宝物のような1ヵ月でした。
その後、発熱をくり返すようになり急遽入院。脳にも転移し、ご主人はしゃべることもできなくなりました。
「医師からは余命が長くないと伝えられました。このまま入院していてもコロナ禍では会えなくなります。医師と相談し、在宅緩和ケアを選び、寝たまま退院して夫の実家に移りました」
緩和ケアとは、治すことを目的とするのではなく、痛みや苦痛を和らげ、患者さんが過ごす時間をできるだけ良くすることを目的とした治療です。ご実家には、医療用ベッドが用意され、医師や看護師、ヘルパーが通ってくれました。
「強い痛み止めの薬のおかげで、話しかけると答えてくれました。食べたいというかき氷を食べさせたり、バンドのDVDを観たり。1週間後、義父と私に看取られて天国へ旅立ちました」
最後に高橋さんにお話を伺いました。
「私にとってがんの再発で入退院をくり返すお客様は初めての経験でした。配偶者様が生命保険に加入していて本当に良かったと言われていたことを伺い、改めて一人でも多くのお客様にお伝えしていきたいと思いました」