愛知県 豊橋市立東部中学校
三学年 相澤 賢(あいざわ すぐる)
ゆらゆらとしなやかに灯るろうそくの炎の向こう側。着物姿で凛とこちらを見つめる祖母の写真があった。今にも写真から飛び出してきて、「よく来たねぇ。」なんて言い出しそうで、まだ僕は現実を受け止められないでいた。
今年のお正月に祖母が急逝した。体調が悪いにも関わらず、亡くなる前日に僕たち家族を家に招いてすき焼きをご馳走してくれた。その時の祖母の様子は明らかにいつもと違っていて、顔色も悪かったし、肩で息をしていた。
「病院いこうよ。」と父が言うと「お正月明けたらすぐに行くから大丈夫!」と応える祖母。こんな会話が最後だった。
「あの時、無理矢理にでも病院連れて行ってたらな……。」涙をこらえながら話す父に叔母はこう言った。
「きっとお母さんみんなと一緒にいたかったんだよ。病院入っちゃったらこのご時世、自由に面会もできないでしょ。少しでも離れたくなかったんだよ。」
家族のみんなのことが大好きだった祖母らしいなと思って、胸が熱くなった。
数日後、生命保険会社の人が祖母の家を訪ねてきた。川岸さんといって、ずいぶん前から祖母が生命保険のことでお世話になっている人だった。川岸さんは、そっと祖母の前に手を合わせ、ゆっくりと、時には涙声になりながら、祖母の思い出話をはじめた。
「あなたのおばあさんは優しい方でね。私がまだ会社に入りたての頃から本当に良くしていただいたの。夏の暑い日に伺うと必ず冷たい麦茶を出してくださってね。それがまた美味しくてほっとする味で。どんな人にも分け隔てなく接する方だった。それからフォークリフトをすいすい運転する姿もかっこ良かったなあ。」
祖母はまさに"スーパーおばあちゃん"だった。亡くなる一週間前も隣で経営する工場で忙しく働いていた。そして僕たちが遊びに行けば、とびっきりのご馳走をつくってもてなしてくれる。僕はそんな強くて優しい祖母を誇らしく思っていたし、大好きだった。だからなおさら、祖母の死で人の命の儚さを痛感させられた。川岸さんの話は続く。
「生命保険のことも随分熱心に勉強されていたのよ。きっと親として、経営者として、残された人たちに迷惑をかけたくなかったんでしょうね。」
生命保険は人の生活を守る大切な備えだ。祖母はライフプランを設計し、いつどのくらいのお金が必要か、そのためにどのくらい備えておかなければいけないかをきちんと考えていた。そして自分が亡くなったあとに残された人たちが困らないように川岸さんに相談していた。川岸さんと祖母との間に信頼関係があったからこそできたことだろう。そんな祖母の思いを知って、さらに祖母への尊敬の念がこみ上げてきた。
川岸さんは、今でも毎月お花をお供えしに来てくれる。そして、祖母との思い出話に花を咲かせ、祖母の偉大さを語って帰っていく。
「おばあちゃんすごいね。」
天国の祖母に話しかけてみる。写真の祖母がにっこり笑った気がした。
きっとこれからの人生、くじけてしまいそうになることもあるだろう。でも、僕は"スーパーおばあちゃん"の孫だ!祖母の思いを胸に、一つ一つ乗りこえて、しっかり生きていきたいと思った。