大分県 大分大学教育学部附属中学校
三学年 玉那覇 峻介(たまなは しゅんすけ)
去年の年末年始に祖母と大叔父、叔父の家族、僕の家族総勢十一名で地元別府の小さな旅館で揃って年越しをした。
祖母のたっての願いで喜寿のお祝いを兼ねた二泊三日の家族旅行だ。
親戚と一緒に旅行するのは初めてなので僕はとてもワクワクしていた。
旅館に着いて部屋に通されるとテンションも上がってきた。
いとこたちと温泉に入ったり、トランプや人生ゲームをしたり旅館の中を探検したりとみんなで楽しんだ。
夕食の時間が来た。
いよいよ祖母の喜寿のお祝いの会だ。
ご馳走を食べながらみんなで色々な話をして大いに盛り上がった。
僕たち孫は、
「いつもありがとう。これからも元気で長生きしてね。」
と感謝の気持ちを伝えて大好きな祖母に花束を渡した。
子供や孫に囲まれてとても嬉しそうな祖母の笑顔が心に残っている。
ふと気が付くとテーブルの上に祖父の写真が置いてあった。
祖父は僕が一歳の時、くも膜下出血で亡くなった。
小さかったので正直祖父のことはよく覚えていない。
僕は祖母や母に、
「おじいちゃんってどんな人だったの?」
と聞いてみると、母、叔父、大叔父、祖母は口をそろえて、
「とても優しくて家族思いの人だった。」
「日頃は大人しいけど、お酒が好きで一杯飲むとよくしゃべっていたね。」
など祖父のエピソードが次々に出てきて会話に花が咲いた。
祖母が、
「実は今回の旅費は、おじいちゃんが亡くなった時に頂いた生命保険のお金を大事にとっておいたものなの。この歳になったら物よりも楽しい思い出を作りたかったから皆を招待したのよ。これもおじいちゃんのおかげ。でも本当は一緒に喜寿を祝いたかったな。」
と、写真を見ながら少し涙ぐんでいた。
祖父は亡くなる前日までとても元気だった。
正月に帰ってくる家族のために年末の大掃除にいそしんでいた。
そんな折、祖父をくも膜下出血が襲った。
救急車で病院に運ばれたが手遅れだった。
誰もが予想もしていなかった祖父の突然の死。
残された祖母は余りにも急な別れを悲しむと同時にこれから自分はどうなるのだろうという不安に直面したに違いない。
しかし祖父は家族のために生命保険に加入していた。
大切な人が亡くなった時まずは悲しみが押し寄せる。
そしてその後にじわじわと経済的な問題など現実的な不安が襲ってくる。
残念ながら人の死は避けられない上に悲しみから逃れることはできないが、生命保険に加入していることによって現実的な不安は軽減されるのではないだろうか。
祖父の保険のおかげで旅行を満喫し、祖母の喜寿をお祝いすることができた。
しかし残してくれたものは金銭的なものだけではない。
僕といとこは、小さい頃は同じ保育園だったのでいつも一緒にいた。
しかし大きくなるにつれて塾や部活などで忙しくなり、最近は疎遠になっていた。
そのような中、この旅行で一緒に楽しい時間を過ごす機会を与えてもらったことも祖父からの贈り物だと思う。
今年の僕の誕生日、何年かぶりにいとこがお菓子を持ってサプライズでお祝いに来てくれた。
この親戚同士の絆こそが祖父が本当に残したかったものではないだろうか。
亡くなってもなお僕たち家族の幸せを見守ってくれている気がして、僕は心の中で『おじいちゃん、ありがとう』とつぶやいた。