岐阜県 各務原市立鵜沼中学校
二学年 平田 菜々花(ひらた ななか)
希少ガンが見つかり、抗ガン剤治療を始めた祖母のあーちゃんは、母に手紙を差し出した。
「何かあった時のために。」
と。しかし、母はそれを受け取らなかった。
あーちゃんは、七十五歳を過ぎても幼稚園で働き、毎週ジムに通っていた。
いつも若々しく、私に〝おばあちゃん〟と呼ばれるのを嫌がった。
そんなあーちゃんがガンを患い、余命わずかだと知った時は、自分の耳を疑った。
心臓が飛び出そうになるくらい驚いた。
ガンが見つかって九カ月後、あーちゃんは亡くなった。
お葬式当日、あーちゃんの家を訪れた私たちは、棺に入れる物と、母が受け取らなかった手紙を探していた。
しかし、出てきたのは大好きだったパンダのグッズばかり。
皆が、手紙は見つからないと諦めかけた時、私は茶封筒を見つけた。
恐る恐る開けてみると、二枚の便箋が入っていた。
一枚は、母と叔母への感謝の言葉が、もう一枚は、お葬式の指示が書かれていた。
ごくごく身内で、BGMはピアノ曲で、最後に一人ずつ手紙を書いて読んでほしい……。
世話焼きなあーちゃんらしさが溢れていた。
『あーちゃんにとって幸せな送り出しができるだろうか。』
そんな不安が消えた。
そして、何だか心が温かくなった。
それは、皆同じだったのだろう。張り詰めた空気がゆるみ、思い出話が飛び交うようになっていた。
手紙に書かれたお葬式の指示のように、何かあった時への備えは、あーちゃんの優しい〝思いやり〟だったのだと思う。
保険もその一つだ。
あーちゃんは九カ月間、入退院を繰り返していた。
そのため、治療費や家に設置する福祉用具等の費用も必要だった。
あーちゃんの家にはローンも残っていた。
それらを全て合わせると、かなり高額である。
私は気になったので、
「入院費とか家のローンとか、どうするの。」
と、母に尋ねた。
すると、
「大丈夫。あーちゃんが入っていた保険のおかげで全部払えたよ。
あーちゃんは、『何かあった時に子どもたちが困らないように。』って、保険に入って備えてくれていたの。
さすがあーちゃんだね。」
と言った。
私はそれを聞き、まさに『備えあれば憂いなし』だと思った。
大きな病気になったことがないから自分は大丈夫だと思ったり、事件や事故のニュースを他人事のように見たりしている人は多いだろう。
しかし実際は、私たちの生活は危険と隣合わせである。それらが、いつ自分の身にふりかかってくるかも分からない。
そして、万が一自分に何か起きた時には、周りの人に迷惑や心配をかけてしまう。
だから、もしもの時に備えることは、家族や友達、将来の自分への〝思いやり〟なのだ。
保険は、そんな〝思いやり〟が集まって成り立っているものだと思う。
皆がそれぞれの将来に備えることで、誰かを助けることも、助けてもらうこともできる。
私は、生命保険や医療保険、学資準備のための保険に生まれた時から加入しているそうだ。
中学生になり、自転車保険にも入った。
しかし、大きなケガや病気をしたことがなく、保険についてあまり理解していなかった。
今回の体験は、身の周りにひそむ危険やそれに備える大切さを学び、保険について考えるきっかけになった。
大人になった時、病気やケガのリスクは今より増すだろう。
そして、両親の手を借りず、それに備えなければいけない。
私は、将来の仕事や住む場所に合った保険を選べるよう、身の周りにあるリスクや保険の種類を知っておこうと思う。
そして、何かあった時への備えは、自分や周りの人への〝思いやり〟であることを忘れないようにしたい。
あーちゃんのように。