栃木県 宇都宮短期大学附属中学校
一学年 近藤 理桜(こんどう りお)
私は今年の春、中学生になり環境も大きく変化した。
入学当初は、かなり緊張していた私も一学期を終えた今は新しい友人もでき、学校も楽しくなり少しずつ慣れてきた。しかし家に帰ると母との間では、私が些細なことで苛立ち、口げんかが増えた。
小学生の頃であれば素直に聞けていた母からの注意が、なぜか耳障りに感じるようになってしまった。
母とのやり取りで
「言われなくても分かっている。小さな子供でもない。大丈夫だよ。」
と言い返す私。毎回の決まり文句になっていた。このような私の言動や態度に母も、
「反抗期かしら。」
とよく呆れた顔をしていた。
そのようなとき夏休みの課題として、「私たちのくらしと生命保険」の作文を書くことになった。私は、生命保険の知識が全くない。自分がどう関わっているのかも正直よくわからない。また長く話をすると口げんかになるため、あまり乗り気ではなかったが、ここは素直に私の家の保険の話を母に聞くことにした。
母は、懐かしそうに話を始めた。私が一歳の頃に
「この子には、自分の好きな道に進んで学んで欲しいね。そのときのために、今から応援する準備は必要だな。」
父が私のために加入したこども保険の証券を眺めていたときに言った言葉だそうだ。
こども保険とは、子どもの教育資金の準備を目的とした貯蓄型の保険で、親が契約者となり、子どもの入学や進学に合わせて教育資金・満期保険金が受け取れるものだそうだ。父が貯金でなくこども保険を選んだ理由は、
「この先、自分に万が一何かあったときにも保険料は払込みが免除され、予定通りに満期保険金を受け取れる。学費の準備になる。最後まで応援する約束を守れるようにな。」
ということだそうだ。親は、私の将来のために見えないところで様々な観点から物事を考え、責任を果たそうとしているのだと知った。
もう一つ生命保険の話があり、家族全員病気やケガをした際に保障される保険に加入しているそうだ。全国でも約九割の世帯が生命保険に、何らかの形で加入していると参考資料に記載があった。
私も実は、医療保険に実際にお世話になった一人だ。幼稚園の外遊びの時間に、遊具から転落してしまい、左手首を骨折し、ギプスを付けて生活したことがあった。その際に、こども保険の通院保障が出たそうだ。そのお金は、
「痛い思いをしてかわいそうだったから、左手首の骨折が完治した後、あなたの快気祝いを兼ねテーマパークへ連れて行き、使わせてもらった思い出があるのよ。」
と母から聞いた。ここでも私たち家族を支える生命保険の存在と、リスクに対応する用意をしてくれている両親の姿を知ることができた。
私は、母から保険の話を聞いているうちにとても気恥ずかしくなっていた。
大人気取りで母に生意気な口をきいたこと。両親や社会の仕組みに守られているおかげで毎日幸せに過ごせていたこと。当たり前ではないのだ。
今年、令和四年の四月から法律で成年年齢が二十歳から十八歳に引き下げられた。私もこの先、成年として社会に出て責任ある生活をしていくことが必要になる。そのときのために生命保険や社会保障など金融に関する知識を学び、いざというときには慌てることなくリスクに対応できる大人になりたい。両親がそうであったように。
今回、生命保険の作文を書くことになったおかげで今後、母と私の口げんかの数は、かなり減っていくことになるであろう。